1890年代の初期、兵庫県の明石にあった版元が、江戸時代の摺物をたくさん復刻していました。現在、日本にはあまり残されていないということなどから、顧客のほとんどは当時神戸に住んでいた外国人だった、というのが研究者の見解です。ここから出版された版画は、現在「明石版」と呼ばれていて、この作品はその中のひとつです。
明石版はとても素晴らしい作品ばかりで、書の部分は巧みに彫られ、摺には高い技巧を凝らしています。 江戸時代の作品との違いは和紙にあり、昔のものには「どうさ」が引かれていてない、あるいはかすかにしかそれが見て取れないという点でしょうか。
デービッドは、百人一首シリーズの完成パーティーにいらしたゲストへのプレゼントとして、1989年にこの作品を制作しました。 木版館の版では、同じ版木を使い、沼辺伸吉氏が摺を担当しました。
歌の説明
岳亭は、大阪の狂歌仲間だった大江連(作品の右上)に依頼されてこの絵を画いたようです。赤を基調とした摺物が3つ連続して作られていて、これはそのひとつ、新年の初日をテーマにしています。
いつくともしら玉姫やしらふらんかすみにこもる松風のこと
(いづくとも白玉姫や調ぶらん霞に籠もる松風の琴)
草廼屋春道(くさのやはるみち)
どこにいるとも「知ら」れないが、その「白(しら)」玉姫(霞の異名)が、霞にこもった松の琴(松籟=松に風が吹いて鳴る音)を調べている(=弾いている)のであろう。
「知ら」と「白」が掛詞(かけことば)になっています。霞のことを擬人 化して「白玉姫」というのに引っかけて、松のこずえを吹く風が音を 鳴らすのは、霞の女神、「白玉姫」なのだろうよ、としゃれたものです。
春の花うこくあしたのあけからす霞の袖にすみやつけゆく
(春の花動く朝の明烏霞の袖に墨やつけゆく)
文廼屋梅枝(ふんのやばいし)
春がやってきて、その東の風に花も動く、その初春の日の出のなかを鳴きながら帰って行く明け烏(ねぐらに帰る烏)は、霞の衣の袖に墨をつけているのだろうかねえ。
「春の花」のところは意訳。「明烏」は落語の題名にもあるように、朝帰る烏の鳴き声をさしています。ここでは、霞を衣にたとえて、烏の姿をその袖に飛び散った墨汁に見立てています。
クローズアップした画像をいくつかご紹介します。