商品番号  0272
在庫  在庫あり
サイズ  22.50 x 15.50cm
7,020円
税別  6,500円

これはコウノトリでしょうか?正直なところ、私には良く分からないのです!アオサギ・オオシラサギ・コウノトリ、どれも足の長い鳥ですが、私には見分けが付きません。とにかく、どの鳥であるにせよ、この類いであることは確かです


私の作品の収集家の中には、インターネットを使う人がいて、時々ウェブカメラで私の作業を覗いては、絵の作者を当ててみたりしています。今月もそういった方達からEメールを頂き、どなたも同じく、大原古邨(こうとん)ではないかというのです。20世紀前半に、花鳥風月を題材にした版画を作った事で知られている作家です。これに良く似た彼の版画があるので、今月は当てるのがたやすいと思われたようですが、残念ながらはずれでした。この作品の元となった版画は、絵だけでなく彫も摺も、漆原由次郎が行っています。そして、とても興味深いことに、「英国製」なのです


開国後、日本の芸術が西洋に与えた影響については、かなりの記録があります。19世紀後半、ヨーロッパやアメリカで開催された大規模の万国博覧会に、日本は何回も参加したので、これが主な経路となって、日本画の文化が広く海外に知られるようになりました。こういった博覧会で人気のあった出し物は、日本工芸の職人達が行った様々な実演でした。1910年にロンドンで開催された「日英博覧会」にも、木版画職人の一団が参加し、当時若者(22才)だった漆原氏もその中に加わっていました。彼は、博覧会が終わっても日本に戻らず、大英博物館の嘱託としてロンドンに留まり、版画の復刻や修復、あるいは巻き物の表装などをしました。その他にも、数は少ないのですが、彼が彫と摺を担当して、ヨーロッパの作家と協同作品を作っています。また、彼自身がデザインした版画もいくつか制作しています。それらは、題材となる絵そのものに取立てて独自性があるとは言い難いのですが、―この作品のように―それぞれが人を引き付ける味わいを持っています。


漆原氏は、当時のイギリスで多色摺木版画を作ろうとした作家達に大きな影響を与え、その発展に貢献しています。彼等には、日本の伝統木版画の技法を知る手掛りがほとんどなかったので、どのように作られるのか分からなくて困っていたのです。でも漆原氏のお陰で、絵・彫・摺の全てを自分達で行って、ひと味違った魅力のある作品を作れるようになりました。


こうして蒔かれた種でしたが、残念ながら、多色摺木版画作りがヨーロッパの庭で「花園」に成長する事はなかったのです。私は、彼等がこの工芸へ接近すること自体に、ある種の矛盾があったからだと考えます。白い紙に独自の絵を創造できるような人間が、大量に同じ絵を生産するために長い繰り返し作業を続けられる類いの人間でもある、などということは、まずないからです。一言で言うならば、人間は「自由奔放な精神」の持ち主か「忍耐力と辛抱魂」の持ち主、どちらかなのです。このふたつの性格は相容れない水と油のような物です。日本では、絵師あるいは作家が、職人達と協同で版画を作ることは普通の事でしたが、ヨーロッパの作家達は「一部始終を自分で」したかったのです。このため、ヨーロッパの多色摺木版画の流派がしだいに影を失い、ついには消失してしまうという結末は避けられなかったのです。漆原は1942年に、戦争中立国であったスウェーデンの船で日本に戻りました。日本に戻りたかったのでしょうか。30年以上もイギリスに住んでいても、所詮は敵国の人間だったのですから、そうせざるを得なかったのでしょうか。私にはまるで分かりません。こんな事を知れば自然と、自分がこのような状況に追い込まれたらどうなるだろうと考えてしまいます。私は、もう数十年は生きられる若さですが、その間に何も起こらないとは、誰にも言えません。「敵国人」として、日本から追放される日が来ないとも限らない...?現代の私達には、そんな事など思いも寄らないでしょうが、当時の漆原さんにとっても、きっと思いも寄らない事態だったのでしょう。


ともあれ、今の所は、暗雲のただよう気配などないので、この版画シリーズを継続するのに障害が出る心配はまるでなし!次回は、皆さんをちょっぴり驚かせる作品です。つまり、少しも意外じゃないから驚くのです。ここ暫く無名の絵師(作家)が続いたので、今度は、みなさんが御存知の絵師ですよ!


平成15年6月